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タカビOG・OB訪問‖Interview‖《デザインの現場》

《デザインの現場》session5-努力の先に見えるもの-

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ブランディングデザイン 戸塚 香里

田中: 無茶な質問なんですけど、デザインに限ったことでもないんですけど、大学が決まるっていうのは何が決まるっていうことなんですか?大学が決まるっていうことは、何かが狭まることでもある、片や大学に行ってからむしろそれからの人生いくらでも変更可能かもしれない。では「何が決まるのそれで?」という問い。大学を受けて受かるっていうことで、私の何がフィックスするんだろうということについては。

田村: アイデンティフィケーションですかね。

田中: どういう意味ですか?

戸塚: 私を私たらしめている骨格というか?。

田村: そう。要はアイデンティティですね。「アイデンティフィケーション」というのは同一化するっていうことなんですけど、結局過去に過ごした時間にしか同一化出来ないので、そういう意味では四年間大学にいたらその四年間いた大学にしかやはり同一化できない。それは、そのときに過ごした大学との関係性によって意味は変わってくるんだけど。さあ大学に認められました。例えば教授から「君は大変素晴らしいね」「よく頑張ってるね」といわれたとする。そういう人はポジティブなアイデンティフィケーション。そうではなくて「お前は本当にダメだな」という感じだとネガティブなアイデンティフィケーション。いずれにしても四年間分のアイデンティフィケーション。もちろん、それだけじゃないですけどね。

田中: 大学選びっていうのは、今本当に曖昧になっています。大学も増えたし。

田村: まあ、全入時代。

田中: そうですよね。かといって、競争力のあるところに行った人は勝ち組かというと、決してそうでもないと思うんですよ。逆転もありえます。でもその前例があるからこそ余計受験生が迷ってしまう。上を目指して挑戦しよう、自分の力を出せるだけ出そう、というの人もいますが、大学はたくさんあるのだから大学自体にはこだわらない、頑張った結果であればどこでもいいのではないか、というのは割と普通の考え方になってきてる感じがします。

戸塚: ふーん。

田中: だから、そこは自分が頑張ったその結果で見合った大学に行くっていうだけで、特にビジョンがあるかっていうと、そうじゃないという感じもします。

田村: でもね、大学のことを大学に入る前に知ることは出来ないよね。

田中: そうですね。入学後将来のビジョンは変えられる、とは思ってるでしょうね。それをポジティブと考えるか、少ない可能性と考えるか。うーん、何て言ったらいいんだろうな…「何とかなる」っていうのはすごい幅がありますよね。

田村: だからね、努力しなくても入れるところには入らない方がいいんじゃないって思う。無駄だから。

田中: それは時間的な努力という意味ではないですね。ずっと根詰めて「四徹して頑張ったぜ!」とかっていうのは…。

田村: それは意味ない。

田中: そうですよね。頭を使うってさっき言ってましたけど、その頑張り方ってかなり難しいんだろうな.

戸塚: うーん、難しい。

田村: 疲れちゃうしね(笑)。

田中: やはり自分が何をやってるかを客観的に見られるかどうか、という頑張りなんでしょうね。視点をむしろいっぱい見つける。その努力の為にやはり遊ぶことも必要なのかもしれません。

田村: うん。

戸塚: 箭内道彦さんの言葉で「世界がつまらないのはお前が何もしないからだ」っていう言葉があって、それがちょっと近いかもしれないですね。自分が何もしないで行ける大学に行っても多分面白くないと思うんですよ。頑張った先に「あー!やっと入れたー!」っていう大学に行った方が、その大学にいる人たちも面白い人が多いがするんですよね。自分にとって。魅力的な話をしてくれる人が多いとか。つまんないことするよりかは、せっかく美術というフィールドにやってきたんだから、自分の力を試すなり何なりした方が自分にとって面白いことが増えていくような気がします。

田村: 十八年なりの人生の中で本当は一番頑張らなきゃいけない関門で頑張らないと、もう頑張れません。どうやっても。それは頑張り方を知らないからです。

田中: それは大学では教わらない。

田村: 教わらない。それはね、予備校に担ってもらうしかないんですよ。日本の教育の制度的には。

田中: 生徒の立場からすると、多分頑張った結果っていうのは想像できないことかもしれないけど、想像できないくらいの姿に努力で生まれ変われるのは受験時代だった。その生まれ変わってゆくそのこと自体が、どこの大学に行こうが、そこで自分が化けたっていう結果が、一生つきまとう自分の可能性として引き継がれる。そこで何も化けずに行ってしまったっていうのは、自分はこうだっていう悪い方のフィックスに繋がってしまう。

戸塚: それ、すごくわかります。努力した結果変われるんだっていう経験ってすごい大事ですよね。努力できるんだっていう。

田中: それは受験も含め初体験だよね。

田村: 本当そうだと思ういます。もうやめたいのに、やめたいけど、一回潰してもう一回描いたらすごいよくなったみたいな経験があるかないかって、結局違うんだよね人生って。

戸塚: うんうん!違いますね。

田村: それがわかっているから「じゃあ、ちょっと休んだあとにまた取り組もう」とかっていう発想になるけど。

田中: それは今の仕事での話?

田村: そうです。それがわかんなかったら「もうこれでいいや、これで完成」ってなるよね。

戸塚: そうですね。締め切り前日だけど「やっぱりこのロゴ変えて新しいのつくる!」みたいな、そういう崖から飛び降りるような思いで、次に良くなる可能性に賭けてそこに飛び込めるか否かでそのあとの跳躍力みたいなものがど

れだけ良くなるかどうか、みたいなことに繋がってくる気がしますね。

田村: 大学生までは学生だから大学っていうところに居場所がある、とりあえず課題をやっておけばいい状態。戸塚さんは今年から社会人ですね。

戸塚: はい。

田村: 社会人っていうのは本当に、コミュニティの役に立たなかったら完璧に無意味だから、存在として。だから、いかに役立つかっていうことを考えなければいけなくなります。結局社会に出るとそれだけです。価値があるかどうかだけになります。それは価値っていうのはいろんな価値観があますが、本当に秀でた特殊な才能である必要は必ずしもない、当たり前のことが当たり前に出来るだけでもきちんと価値があります。大学入試も同じようなものですよ。大学が求めてる、要は「こういう学生が欲しいんだよね」っていう「こういう絵描いてほしいんだよね」っていうのを教授が持っていて、そこにコミットできるかっていうか、要はそれを提供できるかということ。

戸塚: それはすごい考えてました。浪人中に。視デの入試の日には、視デの人たちが「ほ~らこういうの好きだろ~?」っていうのを描いてました。多摩グラのときは「多摩グラはこういうの好きでしょ~?」みたいな(笑)そういう思いで描いてたのを思い出しました今。

田村: まあ、ちょっと純粋じゃない感じですが、でもそういうのはありだと思います。

田中: そういうものですよね。高校生にとっては先のことを想像することは難しいかもしれませんが、でもそれでやはり受験の最中に自分が開花するのを楽しみにしてないと。今の自分がダメだからって妥協する歳ではないですよね。

戸塚  うん。受験は苦しいです。私の場合大学四年生で就職が決まりましたけど、今でも別に苦しいさは変わらないですね。

田村: 大丈夫。ずっと苦しいから大丈夫。

一同: (笑)

戸塚: そうだと思うんですよきっと。「なんで私はこんなに出来ないんだ」って、自分の至らなさにヒリヒリしながら成長していくしかないんだろうなっていうのは最近すごい考えますね。

田中: まあ、だからこその幸せがわかっていく。っていうわけですよね。

戸塚: そうですよね。あと、頑張るときにはゴールイメージを明確に描いておくとそこにいける気がしますね、私は。自分が受験に合格するときのスタイルというか、そのときの状況みたいなのを明確にイメージして、そこに向けて頑張るみたいな。その方が、今何をすべきか見えてくる、わかってくる気がします。そっちの方が。だから立ち止まらないで済むというか。ゴールイメージをしっかり持っとくことは、頑張るために大切だと思います。

田中: うん。先のことは想像するのは難しいけど、それに果敢に挑むのが大事ですよね。

田村: そうだね。せっかく予備校にいるわけだからね、自分以外の人の絵がみられるっていうのは最大の特典。要は標本調査が出来るわけですからそこで。大体の分布があってさ、こういうタイプでこういう風に描いてく人とか、色がきれいな人とか、顔が似せられる人とか、空間が出せる人とか、色んなタイプがいて、その中で自分はどういう絵を描いてるのかっていう、そういういろんなタイプの受験生中で「まあ、三番目に入れば受かるんだ」とか推し量る。そういうとこですよね。


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