Session2 ─「場」としての芸大・美大─

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MPS Vol.1チャイコフスキー「くるみ割り人形 ©田村 吾郎/RamAir.LLC

田中戸塚さんも田村さんも志望した大学に入学された。そこで、そういう思考的スキルと同時にテクニック的なことも学ばれたのですか。

田村いや別にそれは…。大学の教授とか、そんなこと細かく教えない。特に東京芸大(以下、芸大)なんてほったらかしです(笑)。いや、私大は多分もうちょっと丁寧だと思うんだけど(笑)

戸塚はい(笑)。私が入学した視覚伝達デザイン学科(以下、視デ)はすごい研究色に走っていて、私が学んでいる教授がそうなだけかもしれないんですけど「いや、これはデザイン的に見てこういう意義があるんだよ」みたいな。「だからもっとこういう方向で、もっと突き詰めていかなきゃダメ」とか。そういう歴史的にみた意義とか価値とかを割と追求させようとしてくれるんですけど、それは大学の意義としてはとても素晴らしいと思います。けれど、きっと現場に出てから一番最初にぶち当たる壁─自己表現としてのデザインなのか、相手のコミュニケーションを円滑にするためのデザインなのか、そのような所はやはり自分で学んでいかないと誰も教えてくれないと思います。視デに行ったとしても。

田村当然課題をこなすなかで技術を身につける場面もありますが、大学の重要性はその「場」ですよ。「場」としての磁力。

田中つまり、人と人が繋がる場でということですか。

田村そうです。例えば大学に行かなければ、当然教授から「ダサい」とか「つまらない」とかいわれる機会も無いじゃないですか。個人で家の中で引きこもってデザインらしきことやってても意味が無いと思います。

田中そうですね。

田村それは、始めに「他者」があってこそのデザインだから。それは別にファインアートも一緒ですけど。そういう意味では「他者」がいるという環境を買うわけですよね、時間をね。あともう一つは、最大の価値は、同級生じゃないですかね。

田中そうですよね。それはみんなそう思っていますね。

戸塚うん。そう思います。

田村それは本当にものすごい価値です。

田中デザイン、ファイン問わずそれはもう本当に。僕なんかは大学志望理由は最強の仲間と出会いたいっていう、それだけの理由だったので、どこにいっても住めば都っていうのは分かりきっていることだけれども、そこで自分のスキルとかすべて考えたときに、最強の仲間がいる環境を得るためには大学に行くしか無いっていうのはありました。

田村もうひとつ大学の良いところは、特に歴史のある美大の良いところというのは、本当にもう無法地帯であるというところ(笑)。

田中確かに(笑)。

田村それがね、やはり素晴らしいと思うんですよ。入学した時に「ここ何なの?」みたいな(笑)。

田中完全に無ですよね(笑)。

田村そうそう。まあ無といえば無だし、カオスといえばカオスだし、すべてがあるといえばすべてがあるし、何も無いといえば何も無い。その状況をまず理解しようとする、その姿勢が大事なわけです(笑)。何ていうか、とにかくそこに巻き込まれていくっていうか。芸祭などのイヴェントもまさにそうで、ぐちゃぐちゃのめちゃくちゃ。そのとき一年生とかっていうのはぎりぎりコミットしてるだけで、彼らは芸祭っていうものを主体的には想像できない。あれはある種の伝統的な流れの中に乗っている上級生がやっていることであって、そこに一年生が巻き込まれていくことで、一年生が事後的に大学生になっていくんじゃないですか。

田中なるほどね(笑)。

戸塚なるほど、確かに。

田中それと田村さんの仕事ぶりを見てて思うのは、何かのプロジェクトが進むと、本当に全然違う世界の人たちが出会ってる。絶対にいくつかの世界の人が出会わなければいけない。その出会ってる人達を仲良くさせるというか、仲人的な役割を田村さんがすごくやってるなと感じます。そう感じた上で学生生活を考えると、やっぱりクラスメイトだけにとどまらない、プロフェッショナル意識の高い学生、それはよもや美大生でなくともよい、文学でもいいし音楽でもいい。専門が違った人々との交流を積極的に行う「場」であった気がします。

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