Session2 ─タカビ時代─

司会 ガムテープで作品を作るということはその時に始めたんですか?

関口そうですね。当時はスーパーフラットとか、手の痕跡が全然残ってない現代美術が主流でしたから、僕はそれはちょっと違うというか。自分の愛する美術は、図工の延長なんです。手を動かして何かを作り出す、もっとプリミティブな喜びが溢れているものが好きだったから。三宅さんは、好きなメディアでいうと、彫刻というより映画とか音楽とかですよね。

三宅そうですね(笑)でも彫刻の道に進んだことは間違っていたとは思わない。映像とか音楽とかっていうのは、重力もないし、抽象的ですよね。それって、どこまでも行けるんだけど、生活実感からどんどん遠のいていっちゃう恐れがあるんですよ。例えばその辺のおばちゃんが見て「あっ!」と思うような掴みの部分がなくなっちゃう。でも、彫刻というのは、どうしてもそこに「ある」から。即物性で訴えるという部分で言えば、どんなに頭の中で飛躍したとしても彫刻である以上、ね。

関口うん。まあ、でも、今彫刻とかレリーフで活躍されているということは、一重に一人でできるから、だと思うんですよね。やっぱり映画とかは、とにかくいろんな人の力を結集させる指揮者的な力があまりにも重要で。それって大変ですよ。

三宅20代はそんな感じで、いろんなことやってたんだけど、唯我独尊的に自分を前面に押し出すってことはやっちゃいけないんじゃないかっていう意識がすごく強くて。20代は暗黒でしたね(笑)今だに表現媒体は安定してないですけど。

関口でも、例えばよく一発芸でブレイクする芸人さんみたいに、僕はこれをやればいいんだ、ってものはできたけど、逆に言うと期待されるのもそれだし、これから多分ずっとやるのもそれであって、必殺技でもあり自分を縛るものでもあるんです。スタン・ハンセンだったらラリアットしないと終わらない、みたいな(笑)僕の場合は、それが新聞紙とガムテープなわけです。三宅くんは、その必殺技ができてない状態で、それがおもしろいなと。それで、今レリーフっていう、彫刻でもなく絵でもないところにいるっていうことは、三宅くんの今の象徴みたいなところもあるんじゃないかな。

三宅まあ、いろんなことをやってみて諦めて、の繰り返しですけどね。でも、よく日展とかでみる絵画って、四角に収まってるじゃないですか。当たり前なんだけど、みんな横もはみ出してないし、素直に規定に従って収めてる。僕は、それがもどかしく感じちゃう。

司会そういう感覚って、やっぱり絵じゃなくて立体をやっている人の共通感覚なんですかね?フォーマットに収まっちゃつまらない、と。

三宅かといって、彫刻の「カチン」完結です、という感じも嫌なんですよ。だから願わくば、常に液体みたいなものを作りたいですね(笑)

関口そういうことになると、映像、ということになりますね(笑)。 芳醇なものというか。

司会 マシュー・バーニー[2]とかは好きなのですか?

三宅それよりは元奥さんのビョークの方が好きですね。あの人は絶対に肌感覚から離れない。どんなに最先端のテクノロジーや若いミュージシャンを使っても、絶対自分の肉体とか自然とかからは離れないんです。テクスチャをぐちゃぐちゃ弄って脳みそだけでピューンと飛べちゃうような最先端のものは、確かに「わっ、見たことない!」「斬新だ!」と思うけど、日常の血の通った人間として見たときに、何もこっちにフィードバックが返ってこないんです。

【タカビ時代】

司会では、タカビ時代についてと、これから美術を目指す若者について一言お願いします。二人とも現役合格だったから、時間としては濃縮されているかもしれないけど、その間に何を考えていたかなどと、今後美術を志す若者に向けて。

関口タカビに入るまで、自分の進路について全くイメージできていなかった。それで高2の時に進路をきめなきゃいけないということで、得意なことが美術や図工しかなかった。それだけだったんです。でも、それで美術予備校に入って、自分より上手い人がわんさかいる。それを目の当たりにして、打ちのめされたと同時に、頑張らなきゃいけないな、と。あとは、タカビにいるときに、「アートとは何か。彫刻とは何か。」ということを十分に教えてもらったと思います。個性を出そうと変なことをすると、全然ダメ。ルネッサンス期のミケランジェロとかの自然な動きだったり、形の跳ね返りだとかにヒントを見出さなきゃいけない。っていう教えは、本当に勉強になりました。優しい解説本みたいな指導じゃなかったけど、本質的な芸術論・彫刻論について教わった気がします。でもデッサンについて言うと、僕は現役で受かっちゃったから、そこまで習熟したものができなかったですね。もともと形を取るのは下手じゃなかったけど、木炭使って奥行きを出すとか、ああいうテクニックは最後まで掴めなかったです。三宅くんはね、デッサンがすごく綺麗なんですよ。あれはもう、ギフトだね。

三宅器用なんですよ(笑)

関口木炭による表現みたいなのを掴む前に、持って生まれた、形取るのがちょっと上手っていう力だけで受かっちゃった感じなので、もう一年タカビに通っていたらもっと色々発見があったのかもしれないな、とは思います。あと一つ言えるのは、それまで孤独が染み付いていましたから、17,8歳の時期に、タカビが唯一の居場所だった感じはします。あそこでしか息ができない、っていうと大げさだけど、他のどこにいても違和感がありましたから。タカビは本当に、居場所でしたね。

三宅僕は、高校は半年で中退しているんで、タカビが高校みたいな感覚でしたね。でも、真面目でしたね。油絵の講師に話を聞いてもらったり(笑) でも自分で卑下することないと思うけど、僕はあくまで出来上がったカルチャーをどうやって味わうか、というかつまり表層的な人間なんです。関口くんはそういうの興味ないじゃん(笑)

関口ないですね。というか、僕はどちらかというと普段美術界に全然興味ないんですよ。今は教育の現場にもたずさわっているし。

三宅それでいいんですよ。要するに美術っていうのは、表層の上澄みをくみとってもしょうがない。もっとフィジカルなものだから、その人間の動きようみたいなものが根幹で、作品として現れてくるから。 だって縄文時代から受け継いできた、大して顔や形の変わっていない血肉の上からプロジェクションマッピングを照射して「これが最先端の表現」っていうのも、どこか虚しくて。

関口僕は別に最近は、それで人が喜ぶならいいじゃん、って思っちゃいますけどね。同時に、そういうものを作ってる人たちの頑張りにも思いを馳せるようになりましたね。タカビとか多摩美の頃のとんがってた感じは、今思うと懐かしいですね。で、今世界に一言申すことができるなら「多様性を認めよ」ってことですね。いろんな人がいて、いろんな考えがあることを認めて「いいねそれ」って。

【芸大・美大をめざすひと達へ】

司会 それでは最後に、これから美術を志す若者に一言。

関口美術の魅力というのはですね、例えば全ての財産を失ってたった一人になったとしても、美術ができる人っていうのは、絵を描いたりその辺の小枝で何か作ったりしても幸せを感じられるんです。つまり、絶対に絶望しないんです。それはすごい力だと思います。だから、ぜひ志したなら、美術続けてほしいです。

三宅何か誰かがアクションを起こしたら、それは無視は絶対できないんです。例えば自分の嫌いな人でも、その人がやっていることをやめちゃったら「えっ、なんでやめてしまったの!?」ってなる。だから、アクションを起こし続けて欲しいです。

司会本日は、楽しいお話ありがとうございました。

《取材場所 : 青山にて 2018年1月》

【註】
2.マシュー・バーニー(Matthew Barney、1967年3月25日 - )はアメリカの現代美術家。コンテポラリー・アートを代表する作家のひとり。 イェール大学で美術を学ぶ。彫刻、インスタレーションまたはそれらを用いた映画制作で知られる。代表作に、人体をテーマにしたパフォーマンスやビデオなどからなる『拘束のドローイング』シリーズ、5部作の長大な映像作品『クレマスター』シリーズ等。

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